日本において登ったところにルート名を付けて保存し、再登するという文化が生まれたのはいつなのだろう。ルート名について、尾根はなんちゃら北稜、なんちゃら尾根とか既に存在していたであろう名前だったり、地形を表していたりと名前を聞いても「確かに」という気しかおきない。一方、壁には団体名や個人名を示す名前が多く、じわーと熱を感じる。前穂高岳四峰正面壁の松高ルートの初登は1930年代である。登山史は全然詳しくないのだが、本邦の岩壁登攀としては古い部類に当たるのではないか。当時の十代後半~二十代前半の若者達がどのような気持ちでこの壁に向かっていたのだろう。
そんな松高ルート初登から82年後の初冬に筆者らは登ったのだが、とても楽しかった。寡雪のため東面クライミング特有の雪との戦いは皆無で爽やかなクライミングに終始した。アイゼンとアックスを駆使しながらの手袋フリークライミングが82年後の冬スタイルである。特に松高ハング~緩傾斜帯までのピッチが面白かった。この辺りはリスというリスにピトンが打ち込まれているが、ここまでクラシックルートとなると歴史ロマン情緒的演出に見えてくるので悪い気はしない。ちなみに岩は不安定で意外に節理は乏しい。残置無視をしようとすると結構ランナウトとなるので筆者らは何点も敬意のクリップをさせていただきました。穂高でするクライミングなので言わずもがなロケーションは最高。気分の盛り上がりはもちろん、アプローチの長さを含めて冬山の慣らしには丁度いいラインかもしれない。
次はバッチリ雪の付いた時期に北条=新村を登ってみたい。そういえばチンネにもこの名前があるから、同一シーズンに北条=新村巡礼をするのも歴史旅としては上質である。一回の山行でチンネから縦走して前穂へ継続できたら粋だね。
<博物館など>
穂高岳周辺の地質は原山智・山本明著『「槍・穂高」名峰誕生のミステリー』に詳しい。ぱっと見、前穂東壁は花崗岩ではなさそうなのだが果たして。
坂巻温泉、平湯温泉