笠ヶ岳は古く修験の山であり古くから登られていた。江戸時代中期に一旦登山分化が途絶えるがそれを再興したのは御存知、播隆上人である。古来ルートは笠谷からが通常であり、割合多くの登山者を迎えたようだ。時は流れ21世紀。便利な登山ルートが拓かれた今、笠谷に登山者の姿はごく稀である。木材を切り出し搬出する高齢者ばかりがこの谷を行き来する。本谷ですらかくの状況であるのに況や支流をや。
しかし、決して支流に情報が無いわけではない。登山大系にはしっかりと遡行図があるし内容も割合細かく示されている。そんな中でヒアケ谷は登山道に出るわけでもないので最もマイナーと言える。登山大系にもあっさりとした基準であるが故に興味を惹かないのかもしれない。しかーし、遡行内容はちゃんと面白い。出合いから1500m二俣までは立派な滝やナメが連続して心躍る。関門状の20m滝はクライミングも楽しめる。その後現れるシャクナゲの滝は正に剛瀑でこれを見るだけで訪れる価値がある。筆者らは1500mを左俣に進んだが、こちらは難しいところは無いもののナメ状でミスの許されない滝が1つあった。稜線から200m以上手前から笹薮の存在感が増してくる。苦しい笹薮漕ぎを経て辿り着く三角点ピークから眺める景色は格別だ。ホウガ谷への下降となるが上部はやはり笹と戯れる。下部は難しい下降は無い。ホウガ谷と並行する林道は現存しないので注意されたし。
一泊二日で遊ぶのであれば笠谷で継続遡下降を計画するのはどうだろうか。ヒアケ谷本谷から笠谷本谷へ降りて笠ヶ岳へ行くのもいいし、笠谷A沢やB沢へと詰めるのも面白そうだ。1965.9m三角点からホウガ谷を下降で足並みがそろっていれば早朝発で日帰りも十分に狙える。富山から近くて虫も少ないので夏の沢登りにいかがでしょうか。
<アプローチ>
笠谷入り口の林道に入り、発電所のゲートに駐車。しばし林道を歩き本谷へ降りやすい適当な所から入渓。ヒアケ谷の少し手前に滝が3本連続する箇所がある。これをヒアケ谷と間違えないように注意。ヒアケ谷も本谷と滝で出合っている。筆者らは1965.9m三角点からホウガ谷を下降した。ヒアケ谷内上部、ホウガ谷内いずれも幕営適地は意外に少ない。
<装備>
カム一式、念のためピトン。足回りはフェルトの方が良いかも。
<快適登攀可能季節>
7月~9月。標高が高いので寒い時期は辛そう。虫は少ないので盛夏に楽しむと良いかもしれない。
<温泉>
割石温泉
<博物館など>
江馬氏館跡公園:江馬氏は室町時代~戦国時代に北飛騨地域を治めた豪族武将である。その時の武将が室町時代に命じて作庭させたのが会所庭園である。来客をもてなす為に作られた石庭は失礼ながら地方豪族が設計したとは思えない瀟洒さで都の風を感じる。作庭費用は鉱山で得た資金を投下したのであろうか。飛騨が天領となった元禄以降は田に埋められてしまったが、昭和に発掘され再現されている。すごくいい庭なのにお庭を眺めながらお弁当を食べられるというフレンドリーさよ。
高原郷土館:鉱山資料館、神岡城、旧松葉家と3つの博物施設が集まった公園。神岡城内では神岡の歴史を概観でき、鉱山資料館では昭和における採掘~精錬までの工程をビデオで学習できる。鉱山資料は少し情報が古いものの鉱業の現場を知ることができるので貴重。そして最も推したいのが松葉家。神岡に現存した合掌造りで農具、山仕事道具(刃物含む)養蚕具が3階建ての中に所狭しと並ぶ。背の高い人は上階で頭をぶつけないように注意。
なお、近現代の生活に関する書物は「奥飛騨山郷生活文化の記録」が面白く、土木開発については「土と木と水と人と : 建設概史」が概観にふさわしい。どちらも国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可