2021年7月28日水曜日

犀川 二又川本谷

 








高度経済成長期、それに続く箱物建設経済によるインフラ整備政策が廃れて久しい。形あるものはいつか壊れる。令和となった現在、建設からしばらくは利用されていた林道や作業道はどんどん無くなりつつある。これにより、かつては容易に登山できた山が登ることが難しくなる現象が発生している。開発が時間を経て自然の原始性を保つのに貢献しているというのは皮肉な結果である。そうは言っても、地面は続いているのでどうにかすれば目的地にたどり着くことはできる。結果として、本当に思いのある人間しか辿り着かないのであれば悪い事では無いのかもしれない。

犀川上流の二又川もそんな場所ではないだろうか。犀川ダムの建設により一時は近い山となったが、林道の通行止めやバックウォーターにより取り付くことが困難となった。筆者らが訪れた際にはダムがほぼ満水で倉谷川付近から延々とへつり泳ぎをして取り付くことになった。取り付いてしまえば技術的な困難は全くと言っていいほどない穏やかな谷である。何と言っても白眉は犀滝である。犀川本流筋の最大の滝が堂々と水を落とす姿にはI've Got A Feeling。最後の詰めはできる限りゆるい傾斜のところを選べばスラブに出くわして往生することもないだろう。

奥三方山から奈良岳へ向かう登山道は既に全くない状態となっている。奈良岳~大笠山へ向かう登山道もここ2~3年間は刈り払われていないので、藪がかなり多くなっている。自然状態に戻るのも時間の問題だろう。もしかしたら二又川は入下山の方が難しいかもしれない。ある意味ではこれこそ在りし日の山の姿であり、継続沢登りを行う意義深い山域とも思うところである。杣人や猟師の生活に思いを寄せながら大きな登山を展開できるスウィート渓と評したい。

<アプローチ>

林道をやたらと歩く羽目になる犀川ダムから入山するよりも順尾山登山道から沢を下降して取り付くのが良いと思う。或いは刀利ダムから小矢部川上流部へ車で入り、山越え入山だろう。地形図には順尾山から月ヶ原山まで登山道が記載されていないが、実際にはよく整備された登山道がある。筆者らは継続遡下降の計画の一環として小矢部川オコ谷を登った後に水上谷を下降している。県道54号線の崩落復旧が見通せない状況である。もう車でブナオ峠へアプローチすることはできないだろう。奈良岳~大門山間の登山道は荒廃していく一方である。登山道が荒廃した暁には瀬波川左俣へと下降するのが最良の下山路となるだろう。

なお、この山域における各支沢の名称は長崎幸雄著「わが白山連邦~ふるさとの山々と渓谷」に詳しい。


<装備>
登攀具は何もいらないと思うが、犀滝の巻き用にスリング

<快適登攀可能季節>
7月~10月 早い時期だと残雪が残っているはず。7月末から8月末まではオロロが発生するので避けた方が良い。

<温泉>
福光温泉:刀利ダムから降りるとすぐにある温泉。さっぱりとした天然温泉で毎日は入れる地元民の憩いの場。
五箇山荘:国民宿舎でとてもきれいな施設。500円とリーズナブルでありながら静かに温泉を楽しめるよい場所。

二又川 トムラ谷

 












二又川流域で最もゴルジュが発達しているのはトムラ谷だろう。二又川の支流は本流に比して小さいものばかりだが、なぜかこの谷の浸食は極めて激しい。出合いからしばらくは特徴のない川原だがすぐに岩盤が発達し始める。最初は綺麗だなー、という感じで楽しめるはずだ。高度680mの2段15m滝からがこの谷本領発揮である。渓相はゴルジュとなり、高度は滝で稼ぐ。節理が少ない壁でホールドも乏しいので登るのは難しいだろう。側壁は雪国らしい草付きスラブ、しかも傾斜強めなので巻き始めたら降りるタイミングが難しくなる。スラブ滝が延々と続いた後、高三郎山直下はウォータースライダーのように滑らかな物凄い壁。草付きを繋げられるのが救いだが高度を上げるのは中々の苦労が伴う。特に事前調査もせずに下降した筆者らは頭を使う懸垂下降と緊張感のあるクライムダウンの連続で下降開始から二又出合いまで5時間ほど要した。ドはまりしやすい谷なので登る場合は余裕を持った行程計画とするのが良さそう。

<アプローチ>
 トムラ谷は地形図に谷の名称が示されていないが、二又川本谷570m地点の右岸から合流する谷である。林道をやたらと歩く羽目になる犀川ダムから入山するよりも順尾山登山道から沢を下降して取り付くのが良いと思う。或いは刀利ダムから小矢部川上流部へ車で入り、山越え入山だろう。地形図には順尾山から月ヶ原山まで登山道が記載されていないが、実際にはよく整備された登山道がある。筆者らは継続遡下降の計画の一環として小矢部川オコ谷を登った後に水上谷を下降している。
 下降は天ノ又、コシアゲ谷、倉谷川へと下るアザン谷、登山道と幾通りも取れる。計画に合わせて自由に取るのが良い。
 なお、この山域における各支沢の名称は長崎幸雄著「わが白山連邦~ふるさとの山々と渓谷」に詳しい。

<装備>
スリングとピトン。カムは多分あまり使えない。

<快適登攀可能季節>
7月~10月 早い時期だと残雪が残っているはず。ゴルジュ内に残っていた場合は処理に難儀するだろう。7月末から8月末まではオロロが発生するので避けた方が良い。

<温泉>
福光温泉:刀利ダムから降りるとすぐにある温泉。さっぱりとした天然温泉で毎日は入れる地元民の憩いの場。

二又川 天ノ又











高三郎山は登山道が存在する山の中ではなかなか遠い山だ。それも標高が高くないので、特別な思いがある人でない限り訪れる人は多くないと予想するところである。地形図では倉谷川左岸尾根(広坂尾根)に登山道が付いていることになっているが、現在こちらの道は廃道となっており、コシアゲ谷左岸尾根(ナガオ)側に付けられている。

高三郎山の南側にあるピークの方が実は高くて、このピークを天ノ又と呼称されている。天ノ又へと突きあげる谷なので、天ノ又という名前が与えられている素朴さが清々しい。
遡行はというとスラブに樋状の滝が多い渓相で勝負しずらい5m以上の滝が多い。最大の滝は約20mの釜を持った美しい滝だ。全体を通して巻きはそれほど悪くないので慣れていれば時間はかからないだろう。一方、5m以下の小滝はちょっと難しいムーブが要求されることも有るので面倒がらず確保をした方が良いかもしれない。特に上部はロープを出すか迷うような局面が続くので注意が必要。筆者らは高三郎山と天ノ又のコルへと抜けたが厳しいヤブコギは無かった。

<アプローチ>
 天ノ又は地形図に谷の名称が示されていないが、二又川本谷635m地点の右岸から合流する谷である。林道をやたらと歩く羽目になる犀川ダムから入山するよりも順尾山登山道から沢を下降して取り付くのが良いと思う。或いは刀利ダムから小矢部川上流部へ車で入り、山越え入山だろう。地形図には順尾山から月ヶ原山まで登山道が記載されていないが、実際にはよく整備された登山道がある。筆者らは継続遡下降の計画の一環として小矢部川オコ谷を登った後に水上谷を下降している。
 下降は高三郎山北西の沢(トムラ谷)を山頂からすぐに下降しない方が無難である。この谷は標高670m付近まで傾斜の強いスラブ壁、スラブ滝がゴルジュの中に連続する厳しい谷だ。下降は懸垂下降の連続で筆者らはトムラ谷の下降が天ノ又を登るより時間がかかった。





下降を楽しむつもりがないのならば、コシアゲ谷左岸尾根(ナガオ)に付けられた登山道を歩いて降りて、標高670m付近へと下降するコトムラ谷を下降するのが賢明だろう。或いはコシアゲ谷を下降すれば倉谷川へと容易に下降できる。

なお、この山域における各支沢の名称は長崎幸雄著「わが白山連邦~ふるさとの山々と渓谷」に詳しい。

<装備>
スリングとピトン

<快適登攀可能季節>
7月~10月 早い時期だと残雪が残っているはず。ゴルジュ内に残っていた場合は処理に難儀するだろう。7月末から8月末まではオロロが発生するので避けた方が良い。

<温泉>
福光温泉:刀利ダムから降りるとすぐにある温泉。さっぱりとした天然温泉で毎日は入れる地元民の憩いの場。

2021年7月26日月曜日

二又川 ヤスタテ

 











 二又川の支流の登山記録は多くない。古くから猟師や杣人に親しまれてきた山域だし、地元の山岳会はきっと古くから調査を行ってきたので地道に探せば見出すことができるのだろうが、如何せんそれが難しい。それが叶わないのであれば、まずは訪れてみるしかない。
 二又川支流のヤスタテは流域の中では急峻な谷表現がなされており、何かありそうな匂いを感じる。しかも、上部には岩崖マークが付記されこの山域特徴のスラブなのでは・・と期待は高まった。そしてそれは確かにあったのだ!!
 出合はこれといった特徴もない谷でちょっとした小滝で標高を上げる。懸案の520m付近には15mの美しい滝が掛かり、その上部は期待通りの幅広スラブ滝が展開していた。段瀑状の下部はロープを使用せずに直登したが、最上部のスラブは確保を要した。それ以降もスラブ滝や登れる小滝が続き遡行は楽しい。最後まで楽しめる渓相のまま、無名ピークの肩へと出る。

手近な場所にヤスタテがあったら、そこそこ人気の沢になっているのではないだろうか。これだけで訪れるのは難しいので継続遡行で訪れるのがいい。板尾大谷側から山越えのを一泊二日で計画したら面白いだろう。

<アプローチ>

ヤスタテは地形図に谷の名称が示されていない、二又川標高425m付近左岸から合流する支流である。林道をやたらと歩く羽目になる犀川ダムから入山するよりも順尾山登山道から沢を下降して取り付くのが良いと思う。或いは刀利ダムから小矢部川上流部へ車で入り、山越え入山だろう。下降は北側の支流である白山谷か南側のセト谷を下降することになる。筆者らはセト谷へ下降した。上部は下ヨコビヨ谷という名称なのだが、上部は癒し渓、970m付近からは連瀑帯で30mクラスの大滝の大滝も有する興味深い渓谷であった。これを遡行するのも面白そう。




なお、この山域における各支沢の名称は長崎幸雄著「わが白山連邦~ふるさとの山々と渓谷」に詳しい。


<装備>
スリングとピトン

<快適登攀可能季節>
7月~10月 早い時期だと残雪が残っているはず。7月末から8月末まではオロロが発生するので避けた方が良い。

<温泉>
福光温泉:刀利ダムから降りるとすぐにある温泉。さっぱりとした天然温泉で毎日は入れる地元民の憩いの場。

犀川 水上谷

 






水上谷という名前の谷は北陸に多い。そして、水上谷という名の谷の遡行は易しいことが極めて多い。日本語の成り立ちには明るくないが、易しい谷や通り易い谷といった意味の単語が訛化したり、漢字が当てられて水上となったのではないかと予想するところである。

犀川の水上谷は小矢部川方面へ抜けるのには至近で遡行が易しいという点で予想を支持する材料となりうる谷である。ちょっとした小滝と美しい礫岩ゴルジュがあるものの困難は無い。在りし日にこの地域を闊歩していた猟師からしてみたら朝飯前の谷であろう。渓相はまずまずなので沢慣れしていない人の遡下降の練習には良いかもしれない。

<アプローチ>

水上谷は地形図に谷の名称が示されていないが、871mピークと大倉山のコルに突き上げる谷である。林道をやたらと歩く羽目になる犀川ダムから入山するよりも順尾山登山道から沢を下降して取り付くのが良いと思う。或いは刀利ダムから小矢部川上流部へ車で入り、山越え入山だろう。地形図には順尾山から月ヶ原山まで登山道が記載されていないが、実際にはよく整備された登山道がある。筆者らは継続遡下降の計画の一環として小矢部川オコ谷を登った後に水上谷を下降している。なお、この山域における各支沢の名称は長崎幸雄著「わが白山連邦~ふるさとの山々と渓谷」に詳しい。


<装備>
登攀具は何もいらないと思う

<快適登攀可能季節>
6月初旬~11月 早い時期だと残雪が残っているはず。ゴルジュ内に残っていた場合は処理に難儀するだろう。7月末から8月末まではオロロが発生するので避けた方が良い。

<温泉>
福光温泉:刀利ダムから降りるとすぐにある温泉。さっぱりとした天然温泉で毎日は入れる地元民の憩いの場。

2021年7月25日日曜日

宮崎県 比叡山の岩場

 







 運転が苦手で出不精がちな性格により、中部地方以外の地域で登山を殆どしたことが無なかった。山登り以外で旅行もしたことないので日本全体の事は良く知らない。いいおじさんが旅行もせず、ジメジメした暗い空の元で登山しかしていないとは由々しき事態である。諸々が標準偏差から大きく逸脱しても構わないが、相場感に通じていることは相互理解の観点から重要なんではないかと思う。宮崎県は膨大な岩資源に恵まれたクライミング天国である。乾いた岩と青い空、それに美味しいご飯もある。これだ!

 遠路はるばる訪れたのは比叡山周辺の岩場。数多くのマルチピッチルートとボルダー課題があることで有名である。この周辺だけでワンシーズン遊んでも飽きないくらいの岩量があった。マルチピッチの支点はボルトがメインだが物凄く良く整備されているので快適そのもの。フェース、スラブ、クラックと壁の構成が多彩であるのも魅力である。クラック部分はボルトを無視して登るといい。色々と登ったが大長征ルートと白亜スラブというルートの印象が強く残った。どちらも難しくは無いが、イメージ通りの九州クライミングを堪能できた。マルチを登った後すぐにボルダーに興じれる手軽さもありがたい。エリアに岩が集中しているので、ちょっとした時間でも十分楽しめる。

 そんなこんなしていると結局山か岩しか登らず観光要素は乏しくなってしまうのだが、ま楽しかったので良し。一番驚愕したのは北浦のブリが脂がのっていなくて、身がしまっていたこと。フクラギとも異なる触感で、同じ魚でも産地によりここまで味が変わるのかと魚食の奥深さを深く感じたこと。これこそが一番の収穫であった。

<アプローチ>
富山からは丸一日かけて宮崎に到着する。筆者らは運転時間を削減すべく佐田岬から大分に渡った。

<装備>
クライミングギア、ボルトが良く整備されているのでヌンチャクも多数。

<快適適期>
多分10月~4月くらいなんじゃないかと思う。

<温泉>
日之影温泉:比叡山周辺には公衆浴場は無いので日之影へ行く。
喜楽湯:延岡にある銭湯。物凄い昭和風なレトロ銭湯で面白い。観光地として楽しむのがよい。