2025年9月8日月曜日

黒薙川 大深層谷











 黒部には不思議な地形が数多くあるが突坂山の凹地ほど気を引くものはない。高差10m以上の凹地は山では珍しいのだが、突坂山では池と凹地が併せて存在しているのである。この突坂山の凹地についてウィキペディアには東鐘釣山と同じ石灰岩からなりカルスト地形のドリーネと書いてある。いや、ここは石灰岩じゃねえだろ。しかし、数少ない経験やつぎはぎ情報で作られた地質図の情報だけで世界を解った気になってはいけない。不可思議な情報はこの眼で確かめる甲斐がある。

 大深層谷の出合に到着すると易しい谷であることが推し量れる渓相でほっとする。花崗岩の崩壊ガレが多く谷は埋まっており遡行は易しい。下部のゴルジュ地形は少しドキドキするけど問題となる滝は出てこなかった。最短で山頂を目指すべく1120mで右俣へ入る。急峻な右俣は心配していたがここも遡行は易しくて助かる。しかしガレが不安定となっているのでパーティーで登っている場合は注意が必要だろう。コルからは猛烈な藪だ。急な登りでは古ーいFIXが足元に見られるが、この山に思いを寄せる人がいて嬉しい。藪に埋もれつつあるこの荒縄FIXが積雪期に設置されたのか無雪期なのかは謎である。ちなみに史実として突坂山に登った記録がある最初のものは明治42年高岡新報社の新聞記者であった井上江花による登山である。この時は黒薙温泉から尾根を登り3時間半で山頂へ至っているため猟師、杣人、営林署作業員誰かの作業道があったと推量される。当時から大深層谷も登路としては認識されていたようだが険しいとの認識であったようだ。

 いよいよ近づいてきた。稜線の強烈な藪漕ぎも池ボルテージを上げるスパイスで悪くない。藪をかき分け視界が広がった刹那、我々の世界が開闢した。そこにあったのは池というよりも池塘近い湿地であった。浮島のような草の風情が白木峰と似ている。沈黙の水の住人はミズスマシ、マツモムシ、ヤゴといった皆様である。一体君たちはどこから来たのだい。ギンヤンマの羽音を聞きながら佇み時を思う。地図で3つ描かれている池をすべて巡ったがすべて同じ雰囲気であった。そして地図の凹地は池の上にスゲやカヤの草が繁殖した湿地であった。水面が草で覆われているので池と認定できないだけで水深は地形図上の池とあまり変わらない。しかし二足歩行では水を含んだ腐葉泥に胸まで埋まる危険極まりない湿地となっている。ハイハイスタイルで効率よく移動できることを発見してからは各凹地を巡ることができた。面白いことに水面の草を足場にしてモウセンゴケなどほかの植物も見受けられる。この凹地は池が無くなる湿性遷移の途中過程なのだろう。そして凹地を巡った結果、やはりこの山は花崗岩でドリーネではないことが分かった。凹地へと続く小ルンゼはすべて花崗岩だったので間違いない。あとは三角点を踏んで帰るだけである。三角点は藪の中で視界はほとんどないが目的達成儀式として大事なのである。ほとりで幕営してやろうと鼻息荒く水歩荷したが不快であることが約束されているので、同ルートで帰路についた。池に美しいほとりがあったなら、黒部屈指のデート沢(山)として紹介できたのに残念である。ともあれ、世界を発見する始原的な体験が突坂山にはあった。

 この凹地や池の成因は地すべりが濃厚なのかもしれないが真因は謎である。黒部川右岸に点在する池、池塘、平原を全て巡ることで成因の着想が得られるかもしれない。或いはその探求過程で新たな自然に対する視座が得られるかもしれない。こうしてやることが雪だるま式に増えていく。心象世界開闢の旅は長く楽しい。

 <アプローチ>
宇奈月ダムからしかるべきところを歩き出合いまで歩く。黒薙川の堰堤上を渡渉して取りつく。水量が多いと渡渉ができないので注意。幕営は随意可能だが、尾根に出てから快適な場所は無い。

<装備>
沢慣れしていればロープだけで問題ない。中サイズのカムが有れば使えるかも。

<快適登攀可能季節>
8月~10月 残雪、寒さ、害虫など各種事情を鑑み判断されたし

<温泉>
とちの湯:宇奈月温泉総湯は駐車場も無いし、露天風呂もない。山屋のみなさまはこちらへどうぞ。

<博物館など>
うなづき友学館:黒部市立図書館の分館と歴史民俗資料館が併設している。何と言っても1/2愛本刎橋が見ものの博物館である。30年おきにかけ替える刎橋だが、当時のオーソドックスな橋脚がある木造橋の架け替え頻度ってどのくらいだったんだろうか。もっと深く橋の構造比較をしてくれればありがたいと思う。このほか、稚児舞や七夕といった地域の祭事展示も興味深い。

<グルメ>
よか楼:昨今話題の町中華的定食屋。コスパという卑しい概念を持ち出さなくても味で選べる良店。ジビエ料理も時折そろえる。

2025年9月2日火曜日

黒部川 棒小屋沢
























 黒部川花崗岩は世界で最も若い花崗岩として大注目だが、ビジュアル面では通称パンダ石と呼ばれる暗色包有(エンクレーブ)を含んでおりディープなインパクトがある。このパンダ石の露頭としてもの凄いのが棒小屋沢に存在する。しかもゴルジュが有って沢登りが面白いという。いざ行かんジオパーク立山黒部へ。

 整備前の下ノ廊下登山道は中々悪く渡渉したり、ロープをつけてクライミングしたり、藪漕ぎしたりと手ごわい。十字峡はロバートジョンソンよろしく跪いて悪魔に魂を売ろうかと思わせるほど荘厳だ。主よ自然の摂理を体得させたまへ。願わくば少しだけ謎を残して。
 本気の渡渉して出合いから滝を一つ登ると複数の滝を軽く高巻く。以後小難しい滝をショルダー上陸で際どく登ったり、ボルダリングしたりする。やがて、ゴルジュが緩んだゴーロ状地帯に到着する。そこから直ぐに登れない滝が現れ上流部は凄いゴルジュとなる。右岸からの大高巻きの開始であるが、これが傾斜が強いうえ岩がボロイ箇所もあるので嫌らしい。上手いこと高巻くと右岸の巨大なルンゼのドン付きから40mの懸垂一発で沢に復帰する。下流側は剣沢ばりの強烈なゴルジュで見ごたえ抜群だ。ここから上流もワイドクラックを登ったり、瀑流のスラブを登ったりして楽しい。朝一の泳ぎとシャワーとなり歯の根が合わない。古い堰堤を超え、再び際どいクライミングを続けるとタル沢のトンネルに出合う。放水トンネル付近は工事跡が残っており人類の電力希求心と土木技術が推し量られる。あるがままの自然も良きものだが人類の遺構巡りもまた面白い。
 トンネルを超えるとパンダ石のお出ましだ。ペーズリーに似た模様はサイケでポップ、微かにキュートで多分にグロテスク。エンクレーブの黒色組織は針状結晶化していたり、角柱状だったり、はたまた特定の結晶は見れなかったり多様である。エンクレーブ内の組成がわずかに異なったり、冷却速度や気体の影響など微妙なバラつきがこの差を演出しているのだろう。加えて相互貫入したと思われる構造や断層もみられ、この岩が語る歴史が推し量られる。バックベインやコロナといった組織の特性を教わりながら観察していると、これが一つの岩として成り立っていることが不思議に思えてくる。不均一な分散状態が如何に発生して固定されたのだろう。また、混ざっていない苦鉄質マグマと珪長質マグマの界面で発生している現象や苦鉄質エンクレーブがこのサイズ感に均質化する機序が非常に気になるところだ。果たしてこの岩が語る物語から黒部の造山運動は解読できるのだろうか。
 わいわい巡検をエンジョイしてから悪い雪渓地帯に突入する。箱型の淵付近は手前の雪渓を潜ったのち、崩壊した雪渓ブロックから雪渓上に乗った。雪渓上を歩いて懸垂下降で沢へと戻り最後の滑り台状小滝を快適にクライミングして難しいゴルジュは終了となる。広い河原ではあるが露頭にはまだパンダの群れが見受けられる。しかし徐々に密度を下げ、やがて爺ヶ岳の溶結凝灰岩となる。エッジの尖ったガレの堆積が危険で注意しながら登り最後はハードなハイマツ漕ぎを経て登山道へ抜ける。振り返れば剱岳と黒部別山が僕らを監視するように見つめている。十字峡から爺ヶ岳へ至る登山は標高差もあり素晴らしいものだった。
 
 突破力と高巻き力どちらも問われる上に時には雪渓の処理も要求される。流石は剣沢と相対する沢で好渓である。緊張感は高いが巡検を楽しむにはリラックスが大事だろう。そんな遡行のBGMにはご機嫌なCross Road Bluesからミミちゃんとパンダ・コパンダのメドレーで決まり。パンダ、パパンダ、コパンダー!!

<アプローチ>
一般的には扇沢駅から黒部ダムまで行きそこから十字峡まで歩く。扇沢駅の始発バスは信じられない混雑するので初日入山日は平日にしたい。棒小屋沢の入渓は黒部川本流を渡渉する必要がある。棒小屋沢の少し上流か、剣沢側の下流で渡渉をして上陸する二通りあると思う。棒小屋沢に入渓して滝を登ったり巻いたりして1100mくらいのところに少しゴーロ川原があり、大岩の影が幕営好適地となっている。そのほか古い堰堤の上、タル沢付近、1470m堰堤上が幕営に良い。扇沢への登山道はとても歩きやすく快適。

<装備>
カム1セット(#2まででOK)、ピトン各種、沢靴はラバーソールがバチ効き。思った以上に濡れる沢なのでウエットスーツの上着があるといいかも。荷揚げ用、懸垂下降用にロープは2本欲しい。

<快適登攀可能季節>
8月~10月。寡雪で水量が少ない時が組し易い。残雪の残り具合によって印象が随分と変わりそう。

<温泉>
上原の湯:リーズナブルな公共の温泉施設。源泉は葛温泉と聞けば気分は秘湯の高級温泉である。

<博物館など>
大町山岳博物館:資料館が素晴らしい。剥製の展示も豊富で躍動感、物語性があり見入ってしまう。

塩の道ちょうじや:庄屋であった平林家を展示。千国街道から運ぶ塩は瀬戸内産だったそうな。北前船で糸魚川まで運ばれ、そこから大町まで運んだとか。にがり甕の知恵に感動。