2021年8月13日金曜日

大崩山 祝子川本流

 







分類するという行為は幾分手前勝手で残酷な事な気がする。宮崎県は「花崗岩の王国」とも呼ばれるくらい、大きな花崗岩と花崗岩と花崗斑岩が沢山ある。硬くてクライミングに最適な岩なので多くのクライマーを迎えている。もちろん筆者もその恩恵にあずかる一人ではあるが、一聴して同じ「花崗岩」を基盤岩とする県民としては複雑である。富山県には毛勝岳花崗岩と称される一億五千万年以上前に生じた花崗岩を主とする剣・立山がある。花崗岩という括りで言えば同じなのだが成因や環境が異なるため特性は違う。それなのに、「花崗岩」というベールで被われてしまうと、一緒くたになってしまう。

祝子川本流のゴルジュは芸術的なまでに滑らかに浸食された渓相が美しい。ゴルジュと言っても東面で明るいうえ、側壁は高くない。泥の草付きもなければガレもない。水量が少なければ難なく楽しめる沢である。ちょっとしたクライミング要素はあるものの、沢慣れしていればどうのこうの言う必要ない。技術的な懸念や不確定要素が少ないので純粋に美しさに酔いしれることができる。きゃきゃと相棒とじゃれついている間に終わってしまうのが残念だが、欲求不満は大崩山山頂に行くことで十分満たされるだろう。ピークハントはもちろん、小積ダキと湧塚岩峰群など岩場偵察を兼ねれば最高の山旅となるはずだ。何なら継続してクライミングするのもいいかも知れない。湧塚岩峰群には多分登られているであろう興味深いクラックが幾つか見られた(主にワイド)。

花崗岩でも浸食のされ方がここまで違うとなると同類とみなすことは違和感がある。そういえば五十沢の浸食されっぷりも異質であった。僕らは対象を類似点と相違点によって相対的に認知する方が得意だ。分類すること、それは人間が対象を理解するのにとても有効な手段である。しかし、時にその本質を見失う危険を孕んでいることを忘れてはならない。先入観に囚われて対象の特性とその成因のオリジナルな価値を覆ってしまう恐れがある。分類学の祖、生物分類では技術の進展により「種」という概念が曖昧になっている。先人の為した分類も時代と共に理解に変化があって当然なのだろう。今を生きる我々はオリジナルな価値を幅広く楽しめる、しなやかな感性を涵養したいものである。

岩も生き物も存在するものすべて、みんな違ってみんないい。そんなピースフルな気分を感じるためにも、各地の花崗岩の谷を堪能してはいかがでしょうか。

<アプローチ>
富山からは丸一日かけて宮崎に到着する。筆者らは運転時間を削減すべく佐田岬から大分に渡った。大崩山登山道駐車場は全広くない。場合によっては林道端に駐車せざるを得ないので注意。

<装備>
カム少々。磨かれた岩にフェルトは無力でラバーソール一択。人工登攀する箇所があるのでアブミがあれば便利だが無くても何とかなる。

<快適適期>
多分5月~11月くらいなんじゃないかと思う。筆者らが訪れたのは春だったが、薄手ウェットスーツで全く問題なかった。

<温泉>
祝川温泉美人の湯:小さい施設だがとってもきれいで良い。pHはそんなに高くないがヌメリのある泉質。多分炭酸水素ナトリウムの影響だと思う。

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