2024年6月10日月曜日

双六川 葡萄大谷右俣

 





双六川といえば信じ難き透明度に映える花崗岩の白が素晴らしい大渓谷である。しかし左岸側の支流は溶岩流や凝灰岩も見受けられ渓相の多様性が興味深い。この代表的なのは笠ヶ岳の小倉谷や打込谷だろう。

葡萄大谷右俣は短い流域ではあるが複数の岩体を跨ぐ興味深い谷である。しかし、何がそそるかと言ったら、上部が滅多矢鱈に平坦になっている点である。ここは激しい藪なのか、それとも高原川らしい穏やかな癒しなのか。どっちにせよスマイリーそれが沢登り。

苔の発達とサワグルミの新緑が迎えてくれ、入渓して直ぐに満足感に浸れる。加えてご当地お馴染みのシダの繁茂に安らぐ。遡行距離が長くないのでゆったり遊びながら進むとよい。引水パイプやワイヤーの残骸が目につくのが寂しいが、往時の山と人の関りを残す歴史遺産と切り替えればこれも楽しめる。遡行そのものは容易ではあるが、地形図で見る以上に滝や小さな浸食があり渓相は変化に富む。最後まで双六川ならぬ高原川らしさを保ったまま三角点のある稜線へ到達。なお、平坦地ではやはり破顔し、その崩れる様は顔面土石流大崩壊といって差支えない様であったと思う。稜線は古い仕事道をが薄っすら残っていて割合歩きやすい。北側の無名沢へ入ると驚きの花崗岩帯でなかなか水が現れない。ご近所の谷ではあるが、内容は葡萄大谷右俣と全然違い見所は乏しく一気に下降した。

人の営みの残滓を見ると、地域の歴史に興味がわく。古くは神通川へ木材を流していたことから、林業は盛んであったことだろう。燃料の需要から炭焼き小屋跡も多い。加えて鉱山への発電に伴う開発もあった訳である。現代史と雖も山でどのような活動が行われていたか正確に記録されているとは思えない。謎は余白のまま想像の種としても良し、自ら調査活動を行うも良し。あなたはどっち派?

<アプローチ>
双六ダム手前に駐車して歩いて葡萄大谷出会いまで行く。双六ダムはR8年まで工事中のため工事実施日は上流に車を入れる事が出来ない。昔は金木戸川の上部まで林道が入れたものだが、今はゲートは解放されていないし、鍵は割合厳重。葡萄大谷右俣は穏やかで幕営場所に困ることは無い。薪が豊富な適当な箇所で泊まればいい。筆者らは1440m三角点を確認後、双六ダム上流に当たる北側支流を下降した。この北側支流は花崗岩質でガレが堆積しており、上流の伏流区間が長い。

<装備>
筆者らが登ったラインであれば登攀具は不要。

<快適登攀可能季節>
5月~10月 高原川流域にアブはあんまりいない気がする。

<温泉>
割石温泉

<博物館など>
江馬氏館跡公園:江馬氏は室町時代~戦国時代に北飛騨地域を治めた豪族武将である。その時の武将が室町時代に命じて作庭させたのが会所庭園である。来客をもてなす為に作られた石庭は失礼ながら地方豪族が設計したとは思えない瀟洒さで都の風を感じる。作庭費用は鉱山で得た資金を投下したのであろうか。飛騨が天領となった元禄以降は田に埋められてしまったが、昭和に発掘され再現されている。すごくいい庭なのにお庭を眺めながらお弁当を食べられるというフレンドリーさよ。

高原郷土館:鉱山資料館、神岡城、旧松葉家と3つの博物施設が集まった公園。神岡城内では神岡の歴史を概観でき、鉱山資料館では昭和における採掘~精錬までの工程をビデオで学習できる。鉱山資料は少し情報が古いものの鉱業の現場を知ることができるので貴重。そして最も推したいのが松葉家。神岡に現存した合掌造りで農具、山仕事道具(刃物含む)養蚕具が3階建ての中に所狭しと並ぶ。背の高い人は上階で頭をぶつけないように注意。
なお、近現代の生活に関する書物は「奥飛騨山郷生活文化の記録」が面白く、土木開発については「土と木と水と人と : 建設概史」が概観にふさわしい。どちらも国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可

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